清里のひと

笹川大輔さんの就農ストーリーと現在地。

清里で自分らしく暮らす人をピックアップする連載記事「清里の”人”」。今回は清里の若手の農家の1人である笹川大輔さんにお話をおうかがいしました。

「就農について、最初はそれほど乗り気ではなかったというのが本音です(笑)」

 

「誰かにあげる農作物を選ぶとしたら、大輔さんが作ったものなら間違いない!」そんな声が挙がるほど、高品質な種籾やお米、葉物野菜の生産において大輔さんの丁寧な仕事ぶりは清里の中でも厚い信頼を得ています。そんな大輔さんも、お父さんから引き継いで就農した時は実はそれほど乗り気でもなかったとのことで。

「高校を卒業してから⺠間企業に勤めてから親元に戻ってきて就農することになって。いや、ほんとぶらぶらしていて『何もしてないなら手伝え』くらいの勢いで、見よう見まねでしぶしぶ始めたというのが正直なところですね。高校は農業系でしたが別に農業について学びたいからということでもなく完全に部活で進路を選びました(笑)」という意外なエピソードが。

「土地を守るという取り組みは誰かがやらなければならない。それなら自分がとい う思いで」

 

「『郷土を守らなければならない』とか『清里が大好き』という強い思いがあるというわけでもなく、、、でもやっぱり土地は守っていかなければならないという思いは普通にあるわけで、『じゃあ俺がやるか』という感じで始めたわけです。やりたいやりたくないじゃなくて、いずれそういう形になっていくだろうという予測というか覚悟めいたものは心のどこかに常にあったんでしょうね(大輔さん)」

経営委譲から3年後に病気で父親が亡くなり、「株式会社KS光」と父親の名前を冠した法人を設立。「事業としてしっかりと行うのであれば、組織としてもしっかりしておく必要があるだろうと。会社という組織にすれば、預かった土地を管理していくうえで土地を預けてくれる人たちもより安心でしょうしね」と話す大輔さん。と、生来の几帳面さや責任感がお仕事にも現れています。

笹川さんの几帳面さが現れる美しい農場

田んぼにいた頃の思い出と、お父さんのこと、経営のこと。

「今にして思えば、ですけど、子供の頃に手伝っていたはさがけとか、当たり前に田んぼにいた頃の記憶がある種楽しい思い出として残っているんでしょうね。今後について考えてみると、高齢化や後継者不足の問題は根本的かつ抜本的な解決策があるわけではなく、今後劇的に改善していくということはどう楽観的にみても難しいということもわかっていて。だからといって、櫛池がなくなっちゃうというのはさびしい。少なくとも現状維持はしていきたい。だからこそ、経営的にも、田んぼはおれら若いものに任せて、お年寄りが元気に過ごしていけるような仕事を生み出していけるといいなあとも思っているんです(大輔さん)」

現状を現実的に受け止めつつ、よりよい未来を模索していく大輔さん。最後にひとつ、どうしても聞いてみたくなり質問をぶつけてみました。大輔さんが経営委譲をされたのが33歳の時。そして、お父さんが同じくらいの年齢の頃は清里村農業公社の設立に関わり、清里の農業の未来を作り上げていこうとしていた。ご自身の活動と、お父さんの活動、何か重なる部分を感じることはあるのでしょうか?

「うーん、どうでしょうね。お人好しで面倒見がいい父親でしたし、共感するっちゃあする、、、かな?『誰かがやらなきゃいけない』という状況に置かれてそして動いたということに関しては確かに似たような動きになっているのかも。特に意識しているわけではありませんけどね」

「株式会社KS光」という会社名に残されたお父様の面影。大輔さんの細やかな心配りが垣間見える水田や畑はお父様譲りのお仕事なのかもしれません。「いや、ほんとうは何にもしないで生きていきたいんですよ(笑)」と照れて話す大輔さんですが、農作物に向けるその眼差しは瑞々しい真摯な思いに満ちているものでした。